シネマと宝塚と音楽と

宝塚・音楽・映画・時々ジャニーズ

「もののけ姫」の生と性と死。答えのない問いを問い続ける

Withコロナの今こそ再鑑賞

リバイバル上映で再鑑賞。大スクリーンで見ると一層素晴らしい。ロードショー当時、絵の緻密さと美しさに驚いたけれど、2020年現在のアニメと比べると絵面の解像度は荒い。しかしその迫力と美しさはやはり圧倒される。ぜひ大きな画面で見ていただきたい。


自然と科学の共栄共存はあるのか、ないのか。この作品では答えは出ない。現実でもそうだと思う。コロナ禍で可視化されてしまったように、人間の経済活動は地球規模で考えたら害悪の側面の方が大きいかもしれない。だからと言って、私たち人間は滅びた方がいい、とは思わない。文明の進化を止めるべきだとも思えない。この映画と同じく、答えのない問いかもしれないが、全人類が全力で考えていかなければいけない命題なのだと思う。

 

怪獣映画としての「もののけ姫
怪獣的な面白さというか、バケモノ映画としても一級だと思う。タタリ神のおぞましさ、シシ神様の神々しさと不気味さ、特に夜の山の猩々たちやディダラボッチは、DNAの深いところが呼び覚まされるような既視感を感じる。太古の昔、生まれるずっと前にこういう風景を見ていたような気がする。

生と死。そして性
そして宮崎映画の多くがそうであるが、この作品にも性の匂いが濃厚にあると思う。露骨な表現こそないが、実はセリフや絵としてはっきり描かれている。
エボシは売られた女たちと見れば買い戻して仲間にする。タタラ場の女たちはエボシを筆頭にやけに色気のある美女が多い。おそらくエボシも売り買いされた女、遊女だったのだ。芯のところで男性社会を信用しないエボシの過去はきっと壮絶なものだったのだろう。女たちは「タタラ場の仕事はきついけど、腹一杯食えるし男がいばらないから最高」と笑う。
ジブリ作品で1、2を争う頼れるイケメン、アシタカは集落を旅立つ時にカヤと今生の別れを交わす。あの二人は許嫁だろう。既に結ばれている可能性も高い。カヤはもう戻らないだろう男に操を立てた。男も「君のことは忘れないよ」と告げる。アシタカは村を守ったのにそのせいでほぼ追放のような形で村を去らなければいけなかったのだから酷い話だ。

そしてサンとアシタカ。洞窟で何日もの間、サンがアシタカの世話をした。アシタカの側で無防備に眠るサンの姿や、その後モロが「お前はあの若者と行ってもいいのだよ」とサンに告げるところから見ると、多分2人はあの洞窟で結ばれたのだろうと思う(何かで、宮崎監督自身がそのようなことを言っていた記憶もある)。アシタカはタタラ場で暮らすと言った。文明側で、エボシたちと良い町を築いていくのだろう。サンとの交流はその後も続くのだろうが、住む世界の違う二人は通い婚のような形をとったのかもしれない。
いろんな世代でいろんなことを感じられる映画だと思う。