シネマと宝塚と音楽と

宝塚・音楽・映画・時々ジャニーズ

WELCOME TO TAKARAZUKAー雪と月と花とー/ピガール狂騒曲('20 月組)

久しぶりの大劇場。万全のコロナ対策

今年の上半期、何度チケットをとっては流れ、とっては流れたか。SSもあったのに。しょうがないとは言え悔しい。そして劇団関係者の皆さんの苦労を思うと何とも言えない気分になる。コロナ禍にあって、興行系は本当に大変ですよね。

 

しかしながら久しぶりの宝塚大劇場は、変わらずに華やかで夢のようなのだった。赤い絨毯も、煌くシャンデリアも。

コロナ対策はめっちゃ頑張ってます。

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飛沫の検証結果が張り出されている。ちゃんとしてます。

  • 入り口のアルコール消毒と体温チェック
  • キャトルレーヴは入場制限あり
  • チケットのQRコード確認は客側が自分でする方式に
  • オペラグラスの貸し出し中止
  • 幕間の軽食コーナーの営業も中止
  • 売店はやってるが取り扱い商品は絞っている
  • 飲食店の営業も縮小してるっぽい?
  • 生オケ中止(止むを得ずとは言えこれは痛い。。宝塚の魅力は生オケも大きい)
  • 女性トイレのメイク直しコーナー(鏡台の方)は利用中止
  • 鏡のみのメイク直しコーナーにはずらりと洗面台新設(これはびっくり。凄い)

どれだけ対策をしても「十分」ということはないのかもしれない。しかし、やれることは全てやるという気概が感じられる。さすがは俺たちの宝塚である。

「WELCOME TO TAKARAZUKA」雪月花の美しさに感動

まずは「WELCOME TO TAKARAZUKA」宝塚の日本物のレビュー大好きなんだよな。中でも本作はとてもクオリティが高くて、素晴らしかった。日舞とクラシックがこんなにマッチするとは。

オープニングのチョンパ!この華やかさ、一瞬で異世界に連れて行かれる。唯一無二である。麗しい若衆たちと艶やかな娘たち。この美しさだけで泣けてくる。

 

雪の場面。松本悠里先生の舞の愛らしくも神々しいこと。涙が出てくる。切ない恋の苦しみ。日舞のうまい下手は正直さっぱりわからないのだが、ミエコ先生の舞に心を動かされるのは事実だ。何と美しいことか。これが大劇場での見納めになるとは。。ミエコ先生、本当にありがとうございました。あなたは素晴らしい。

 

月の場面はボレロのリズムに乗せた群舞。見たことのない世界だった。本当に綺麗。珠様の包容力が月読命のようだ。

花の、鏡の舞も見応えがある。月城さんがもうびっくりするくらい美しい。いいもん見た。

「ピガール狂騒曲」は古くて新しい名作だ

これ面白い。「十二夜」の翻案かと思うが、月組はお芝居のアンサンブルが良いのでシェークスピアみたいな大勢が絡むお芝居が凄く合っていると思う。

宝塚は基本的に「男は男らしく、女は女らしく」の古典的な価値観の作品が多い。どうしたって男役トップが主役なので、男を立てるような形にならざるをえない。

でも伝統を守りつつも、時代に合った新しい風を取り入れて行くのが、宝塚がいつまでも古びない秘訣だと思う。

月組は結構チャレンジングな演目を手がけてきた。本作でも「女性の自立」を描きつつ、さらに珠様の女役ですよ。最初から男役にしちゃ白めのメイクだなと思った。

皆よかったが、中でもロートレック役の千海さんが凄くよかったなあ。

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舞台の内幕ものという設定も凄く好み。うわべの綺麗さではなく夢と情熱が人の心を打つのだと、まさに宝塚のことではないか。ムーラン・ルージュのショーのシーンがとっても楽しい。

また、楽屋のセットが凄く良くできていてまじまじとオペラでみてしまった。踊り子さんたちの鏡前の乱雑さと華やかさ、そして儚さ。ジェンヌたちは本物の舞台人なので、凄いリアリティがある。

 

非常に楽しかった。珠様の兄と妹二役の演じ分けが素晴らしかった。立ち方が歩き方がもう違うんだよね。男のふりをしている女性ジャックと、本当に男性のヴィクトール、同じ顔で同じ体で、でも身のこなしが違う。

しかしラストで珠様が月城さんにキスされるシーンはなんか見ちゃいけないものを見たようなドキドキ感が。

 

ラストのショーも素晴らしい。基本の黒燕尾による群舞、娘役たちのドレスもシックでスタイリッシュ。デュエダンも美しい。

何か今回の演目、レビューもお芝居も文句つけたいところがほぼないな・・・久しぶりだったということをさしひいても、素晴らしい内容だったと思う。ありがとうタカラヅカ

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宝塚って本当に素晴らしいですね

 

「窮鼠はチーズの夢を見る」は普遍的で良質な恋愛映画だった

名作「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」の再構築

原作が良いだけに実写化はどうかと思ったら、とても良質な恋愛映画だった。最後までのめり込んで見てしまった。主人公・恭一の成長物語であり、今ヶ瀬側から見れば辛い話でもある。そしてこれはとても普遍的な愛の話だと思う。

恭一という虚無

恭一という人は一見何ら問題のない大人だが、その実は空虚だ。彼の掴み所がないのは、本人が自分をわかっておらず、わかっていないという事にも無自覚なためだ。家庭にもピンと来ていない。それでも社会生活には困らないし、何ならそういう人はごまんといる。

今ヶ瀬くんはこんな恭一の何が良くて恋をしたのか。話を見ていてもこの根本的な部分はわからない。ただ、恋愛とは往々にして理不尽で不公平で不合理だったりする上、理由などいくら考えても自分でもよくわからない事が多いのだから、「わからない」という点こそがリアルかもしれない。

恋の煌めきは一瞬だが、一生の宝だ

今ヶ瀬の苦しみは「ゲイの男性がヘテロセクシャルの男性に恋をした事」だけではなくて、普遍的な愛の苦しみだろう。恋愛はいつか冷めてしまう。どんなに情熱的な関係性も変わっていく。それは怖い事だけれど、悪い事ばかりでもない。恋の熱が冷めても幸せに暮らすカップルは大勢いる。
仮に別れてしまったとしても、切り取って宝箱にしまっておきたいような一瞬の煌く思い出があれば、人は生きていける。恭一と今ヶ瀬には何度もそんな時間があった。

愛するあなたは、いつか私から去っていくだろう

「大好きなあなたはいつか私から去るだろう」と覚悟を決めてなお相手を愛するのは辛いが、愛の本質はそういうものだと思う。結婚という契約形態のない二人なら尚更だが、これが男女のカップルだとて同じ事だ。今ヶ瀬は最初からその覚悟で恭一を愛していた。何もわかっていなかった恭一は、今ヶ瀬との関係で多くを学んだ。

今ヶ瀬は恭一の元に戻るだろう。が、また逃げ出してしまうかもしれない。恭一はその覚悟で待つのだろう。

大倉くんの「いい感じに死んだ目」と成田凌の濡れた眼差しの対比

映画は一貫して映像も音も静かだ。台詞をベラベラ喋りすぎない、うるさく説明しない演出も好き(一点、恭一の部屋がこジャレすぎててそこがちょっとリアルでない気がする。ああいう男はもっと素っ気ない部屋に住んでそう)。

大倉忠義成田凌は熱演だった。大倉くんはいい感じに「死んだ目」をする時があって、非常に恭一っぽい。成田凌の繊細な表情がまたいい。無言の演技に何度かグッときた。恭一の冷めた目と今ヶ瀬の濡れた熱い眼差しが対照的だ。恭一の方がずっと大人に見える。しかし、実は俯瞰で状況をわかっているのは今ヶ瀬の方だった。

みゆちゃんの名演が冴え渡る

女優陣は当て馬というか損な役回りばかりではあるが、それぞれに切ない余韻を残す。
個人的には恭一の妻を演じる咲妃みゆちゃんの名演。決して長くない登場シーン、台詞も多くない。しかし彼女の辛さがひしひしと伝わる。そしてそれが恭一に全く響いていないことも。
さすが元娘役トップ、いい女優さんだと改めて認識する。ああチギみゆコンビの演技に何回涙したことか・・・(みゆちゃんの「他にお付き合いしている人がいるの」という台詞に、チギさんの顔がよぎったヅカオタは私だけではあるまい)。

ところで濡れ場について

恭一は女性とも今ヶ瀬ともベッドシーンあり。いずれも大倉くんのバックショットがきっちり映るのだが、この人は顔のシュッとした印象と裏腹に結構体格が良い。ライブで拝見するとメンバー1ガッチリしている。映画ではもちろん体を絞っていて綺麗なのだけれど、中年期に差し掛かりつつある厚みがリアルで良い。

現役アイドルとしてはかなり攻めた濡れ場も演じていたが、物語上体の繋がりは大事なポイントなので、そこは外せないだろう。しかし私には生々しさは感じられず、記号的なベッドシーンだなぁという印象。この物語においては、まあそれが正解なのかもしれない。

子犬っぽい今ヶ瀬だが、実は大倉くんより成田凌の方が上背があるあたりもなかなか良いバランスだったと思う。

ジャニーズ考:センターとは何か

アイドルにあって、他のアーティストにないもの

ジャニーズのアイドルグループと、ダンスチームやバンドなどの他ジャンルのアーティストを隔てるものは何か。

スキル軸だけで見たら、両者の区別はつきづらくなってきている、と思う。

若手ジャニーズのダンスパフォーマンスのスキルはえげつなく上昇している。全員とはいかないものの歌の実力者も複数いる。バンド演奏もしっかりこなすグループもいる。

また、他ジャンルのアーティストの側から見ても、ジャニーズ並に端正なメンバーを揃えたルックス含めた演出力の高いアーティストは国内外に大勢いる。

「アーティストは作詞作曲を自作するがアイドルは基本しない」という点も、ジャニーズの中には作詞作曲振り付け舞台演出衣装まで自己プロデュースを手掛ける人も少なくない。ある程度キャリアを積めば制作にも参加することがむしろ王道でさえある。

 

ジャニーズにしかないものがあるとしたら、それは「センター」というポジションだ。

 

改めて考えよう。センターって何だ

しかし、ここで改めて問う。センターとは何か、と。

バンドならボーカルがフロントでありバンドの顔であるものの、それはあくまでも1パートであって、アイドルグループの「センター」という役割とは似て非なるものだと思う。

センターとは何か。よく考えたら不思議な役割だ。リーダーではない。メインボーカルとも違う。一番人気がある人?結果的にそうなっているグループも多いだろうが、必ずしもそうでもない。一番の実力者がなるとも限らない。

ある種「座長」に近いが、主役と脇役というほどに明快な区分けがある訳でもない。真ん中にいることが多いが固定されている訳でもなかったり。「センターとは何か」を明快に定義するのは意外と難しい。センター=メンカラ赤が不問律のようになっているが、これも理由を問われると説明しづらい。戦隊ヒーローでもないのに。

例えば戦隊モノやジャニーズの文脈を知らない外国の人に「センターとは」を説明するのはとても難しい気がする。「真ん中にいる人」という立ち位置だけではない、センターの役割を。

 

圧倒的センター感てあるよね

ここで私が思う圧倒的センター感のあるセンターはというと、東のラウール、西の重岡大毅である。

この二人はねえ、グループのセンターではなくてもう世界のセンターなんじゃないかと思うえげつない吸引力があるよ。

 

SNOW MANのラウール君は、最年少にして圧倒的な華とスキルと存在感。実力者のお兄ちゃんメンバーの中にあって、確かに彼がセンターだろう(というかむしろセンター以外に置き所がない気もする)。技術的には未完成、未熟な部分もあるのだろうが、素人目にも「プレミアム仕様」という気がする。何というか、材質がもう上等な感じ。どう成長し発展するのか、楽しみで仕方がない。

 

ジャニーズWESTの重岡君は、ちょっと見にはその辺の兄ちゃんだが、ライブでの彼を見るとその物凄いパワーと魅力に圧倒される。歌やダンスがもっと上手い人や顔の造作がもっといい人なら他にもいるだろう。が、あの凄まじい輝きはちょっと他にはないものだと思う。本心を容易に見せないタイプに見えるが、ステージでは剥き出しの命の光を惜しげもなく観客席に放出する。確かに「センター」だ。

 

センターが良い、という訳でもない

ただ、センターが他メンバーよりも優れている、という訳ではないと思う。そこは個性であり、ピタッとハマる役割があるのだ。誰もがセンターに立てる訳ではないが、センターに立てないことが欠点という訳でもない。多くのグループで、センター以外にびっくりするような実力者がいたりするではないか。そこは組み合わせと役割分担の妙だ。

センターとは不思議な椅子だ。

 

センター無きジャニーズグループは

と、センター不在のグループもいる。例えば現在の関ジャニ∞

シーンによって、大倉君か安田君が真ん中にいるケースが多い。しかし彼らが「センター」という感じはしない。二人とも華も実力も経験もある凄いタレントだが、センター感はない。

これは「ジュニアの頃からセンターとして育てられたかどうか」が鍵なのではないか。そう、宝塚でいうところの「路線」だったかどうか。現在のエイトメンバーは、いわゆる路線ではなかった人たちだと思う。

ただ関ジャニはキャリアも長く、個々のキャラクターが確立している。バンドでもあるし、ボーカルグループとしての魅力向上も目覚ましい。若いグループと比べると、センター不在によるバランス崩れが大きなハンデにはならずにすむだろう。

(その意味でいうと、SNOW MANの増員は若手アイドルグループとしては大正解だったのだ)。

今後、若手でもセンター不在のアイドルグループが成立するのかどうかはよくわからない。センター役割にも注目しつつ、いろんなグループを楽しんでいきたい。

ジャニーズドリアイ2020→2025が歴史的名演だった

2020/7/28 なにわの日

いやー凄かった。ジャニーズ史上、いや日本エンタメ史上に残る名演でした。

最高のロケーション、最高のセトリ、最高の演者たち。スタッフのみなさま、大阪府関係者のみなさま、本当にありがとうございました。

新型コロナでライブ会場に足を運べないという特殊事情を逆手にとった素晴らしいコンテンツだった。しかし舞台上は思い切り密だったが、、、演者の皆さんには感謝しかない。本当にありがとう。どうぞご自愛ください。

(ただし事前に完全に想定できるにも関わらずの鯖落ちは勘弁してくれ・・顧客サービスを舐めているとしか)

熱く流れる、関西の血脈

関ジャニ∞以降の、関西ジャニーズの歴史に胸が熱い。エイトとちびっこジュニアは完全に親子ほどの年の差が開いている。何もなかった荒野を切り開いたパイオニア、エイト兄さんたち。さらに発展系を見せてくれる実力派ジャニーズWest。そしてキラキラのジュニアたちが続く。

エイト、ジャニスト、Aぇグループといういわゆる関西色の強い個性的な系譜と、なにわ男子とLilかんさいというキラキラなザ・アイドル路線。ざっくり2つの流れがあるように見えるが、こうやって系統的に見ると、やはり脈々と流れる関西の血を感じる。

彼らは、やはりファミリーだ。

 

エイトは源流。男臭いロックやお笑いもジャニーズカラーの中にごく自然に包括している。直系の後輩はジャニストだが、隔世遺伝的にAぇグループが関ジャニの良いところを色濃く受け継いでいると思う。バンドセッション、よかったねえ。

 

ジャニストはハイブリッド。ギラギラセクシーやお笑いももちろん、スウィートなキラキラアイドルも実はさらりとこなす(リトカンとの「プリンシパル」を見ましたか。あの可愛さにはまいったわ)。エイトと、なにわ男子リトカンとの間はとても距離があるように見えるが、実はその間をジャニストが繋いでいたんだなぁと再認識した。ジャニスト、カッコ良かったよねえ。どストレートな「カッコよさ」ではジャニーズWestがピカいちだったのではないかと思う。若いし、体もキレてるし、背も高いし。何より重岡大毅というセンターの強さに圧倒される。とてつもなく強い。

 

今のジュニアの勢いを牽引しているのはなにわ男子だろう。貫禄すら感じる堂々としたステージアクト。全方位的にびっくりするレベルの可愛さ。見ていて悲しくなるほどの煌めき(なぜなら、若さの煌めきはいつか必ず失われる儚いものだからだ)。

 

そして彼らやちびジュの輝きを支えるエイト兄さんの包容力ったら・・・

大阪城をバックに歌うエイトは涙が出るくらい決まっていた。エイトは人員減でボーカルのバランスには苦労されたことと思うが、本当に5人の歌の力が倍増したと思う。素晴らしいパフォーマンスだった。

歴史的名演、ぜひ円盤化を

コロナ禍下という特殊事情かつ関西総出のファミリー感そして大阪府の全面協力の元の素晴らしいロケーション。こんな歴史に残る名演、繰り返し見たいじゃないか。大体、1グループのライブでさえ目が足りないのだから、こんな豪華な競演、自分があと1ダースいても足りんわ。あと何十回見れば堪能できるんだろう。

ということで、ジャニーズ事務所様、ぜひとも円盤化をお願いします。あのイカしたエンディングを見る限り、大阪各所でカメラ回してるんでしょ?お宝ものの未公開映像満載なんでしょ?ぜひDVDいや高画質Blu-rayで特典映像たっぷりのBOX化を希望します。何なら完パケ売ってくれ。小金ならあるよ、受けて立つよ!

「もののけ姫」の生と性と死。答えのない問いを問い続ける

Withコロナの今こそ再鑑賞

リバイバル上映で再鑑賞。大スクリーンで見ると一層素晴らしい。ロードショー当時、絵の緻密さと美しさに驚いたけれど、2020年現在のアニメと比べると絵面の解像度は荒い。しかしその迫力と美しさはやはり圧倒される。ぜひ大きな画面で見ていただきたい。


自然と科学の共栄共存はあるのか、ないのか。この作品では答えは出ない。現実でもそうだと思う。コロナ禍で可視化されてしまったように、人間の経済活動は地球規模で考えたら害悪の側面の方が大きいかもしれない。だからと言って、私たち人間は滅びた方がいい、とは思わない。文明の進化を止めるべきだとも思えない。この映画と同じく、答えのない問いかもしれないが、全人類が全力で考えていかなければいけない命題なのだと思う。

 

怪獣映画としての「もののけ姫
怪獣的な面白さというか、バケモノ映画としても一級だと思う。タタリ神のおぞましさ、シシ神様の神々しさと不気味さ、特に夜の山の猩々たちやディダラボッチは、DNAの深いところが呼び覚まされるような既視感を感じる。太古の昔、生まれるずっと前にこういう風景を見ていたような気がする。

生と死。そして性
そして宮崎映画の多くがそうであるが、この作品にも性の匂いが濃厚にあると思う。露骨な表現こそないが、実はセリフや絵としてはっきり描かれている。
エボシは売られた女たちと見れば買い戻して仲間にする。タタラ場の女たちはエボシを筆頭にやけに色気のある美女が多い。おそらくエボシも売り買いされた女、遊女だったのだ。芯のところで男性社会を信用しないエボシの過去はきっと壮絶なものだったのだろう。女たちは「タタラ場の仕事はきついけど、腹一杯食えるし男がいばらないから最高」と笑う。
ジブリ作品で1、2を争う頼れるイケメン、アシタカは集落を旅立つ時にカヤと今生の別れを交わす。あの二人は許嫁だろう。既に結ばれている可能性も高い。カヤはもう戻らないだろう男に操を立てた。男も「君のことは忘れないよ」と告げる。アシタカは村を守ったのにそのせいでほぼ追放のような形で村を去らなければいけなかったのだから酷い話だ。

そしてサンとアシタカ。洞窟で何日もの間、サンがアシタカの世話をした。アシタカの側で無防備に眠るサンの姿や、その後モロが「お前はあの若者と行ってもいいのだよ」とサンに告げるところから見ると、多分2人はあの洞窟で結ばれたのだろうと思う(何かで、宮崎監督自身がそのようなことを言っていた記憶もある)。アシタカはタタラ場で暮らすと言った。文明側で、エボシたちと良い町を築いていくのだろう。サンとの交流はその後も続くのだろうが、住む世界の違う二人は通い婚のような形をとったのかもしれない。
いろんな世代でいろんなことを感じられる映画だと思う。

モーリス(1987)人生で何を選び、何を失ったのか

あの名作が4Kで蘇る

4Kデジタルリマスター版で再視聴。素晴らしかった。大人になった今見ると、より胸に迫るものがあった。
美しい景色、美しい調度品、美しい青年たち。画面が隅々まで綺麗で上品。そして誰にも訪れる人生の選択の話でもあった。

モーリス とクライヴ
上流階級出身のクライヴは地位や名誉を捨てられず、モーリスとの愛に飛び込めなかった。世間体とかそんなレベルの話ではない。当時の英国では同性愛は犯罪だった。
この二人の関係性においては、髭が世間並みの男として生きることの象徴のようだった。ケンブリッジを去りビジネスに生きるモーリスは口髭を蓄えていた。一方、つるりと美しい顔のクライヴは己の性癖に悩んだ挙句、家名を継いで政治家として生きる道を選択する。妻を迎えた彼は髭を生やす。クライヴに愛を拒絶されたモーリスは彼と入れ替わるように髭を剃り、大学時代のように若々しくナイーブな表情を見せる。

モーリスの次の恋人はクライヴの使用人アレック。黒髪のなかなかの美青年で、少しだけクライヴに系統が似ているところも切ない。クライヴとはプラトニックだった彼は、初めてアレックと全てを与え合う。何もかもを捨て、階級差も超えてアレックとの愛に生きることを選んだモーリスが眩しい。

選ばなかった道、失った愛、人生の選択
ラスト、モーリスの選択を知ったクライヴの表情が切ない。かつて、クライヴの部屋の窓から忍んできて「君が好きだ」とキスをしたモーリス。クライヴは若い頃のモーリスの笑顔を思い出す。窓の外から「来いよ」と笑いかけるモーリスの笑顔は、もう遠い日のものになってしまった。クライヴは、愛に飛び込めなかった。その時はもう過ぎてしまったのだ。このシーンでは涙が出た。
タイトルロールはモーリスだが、実はクライヴこそが主役だったのだな、と今回見返して思った。クライヴにとって、モーリスは選ばなかった道であり、失われた人生最大の恋であり、こう生きられたかもしれないもう一人の自分だったのではないだろうか。
本作のジェームズ・アイヴォリー監督は「君の名前で僕を呼んで」の脚本家だ。2作品を合わせて見ると、より一層奥行きが増す。

クライヴを演じるヒュー・グラントの美貌が凄まじい。登場シーンから尋常でない輝きに、観客はモーリスと同じく一瞬で心奪われてしまう。金髪のジェームズ・ウィルビーと寄り添う姿はドキドキする。また、アレック役のルパート・グレイヴスもこの頃は若々しくて可愛い。

スカステ雪組中継。時代が変わるか?!

やれば出来る子、それが俺たちのスカステだ

3月22日まさに今「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のライブ中継鑑賞中。

スカステ、舞台中継できるんだ。

やれば出来るやん。

今回のために諸々整えたのか、それとも以前から出来る状態ではあったけれどやらなかっただけなのか。

それにしてものぞ様、素敵、素敵よ。

 

今後ライブ中継は定着するのか

今後、千秋楽など特別な舞台のスカステ中継というスタイルは定着するかどうか。

私はするだろうな、と予測する。

「TV中継なんかやったらチケットが売れなくなる」なんて心配は、宝塚のようにコアなファンがガッチリいるコンテンツにはおそらく杞憂だろう。舞台ファンは中継があったってやはり現場に駆け付けたいものだ。

「円盤売れなくなる」これは多少はあるかもしれない。ただ、ここは売り方の問題だと思う。今時、アーティストや映画の円盤を買う人の目的の多くは「特典映像」だからだ。現行でも、宝塚の円盤には出来の良いミニパンフレットや稽古場風景などの特典がついている。でもまだまだ(さしてリソースをかけずに)追加出来る特典はあり得ると思う。それこそスカステの既存映像だっていいし、未公開映像だって沢山あるはずだし、ジェンヌや先生方の副音声解説なんかあったら、最高じゃないですか。そりゃもう買うよ。買うしかないでしょ。たっかい円盤だが全然高くないね。

 

映画館のライブビューイングもメリットはある。なんと言ってもあの大画面は家のTVではない迫力だ。そしてチケット代。映画館の利用料がざっと半分だとしても、まあまあの売り上げではある。

しかし時代はサブスク、スカステの加入者が増えれば万々歳のはず。月額を手堅く支払い続けてくれて繰り返しコンテンツに触れてくれるファンが増えるのは望ましい。しかも映画館の調整の手間がざっくり省ける。

ただ気になるのは、「ライブビューイングのチケット購入層は当然のように既にスカステ加入しているのでは」という点だ。

明日海みりおさんのサヨナラ千秋楽ライブビューイング動員数は189館7万人という数字をどこかで見た。みりおさんは特別としても、人気演目なら数万人単位で希望者がいるということ。しかも都市部ではチケット落選してる人もいるからね。

で、スカステ契約数の最新がはっきりしないのだが、確か10年前で公表5万だった。現在増えているとしても倍増まではいかない予想で5~10万の間だとすると、ライブビューイング動員と割と拮抗する数字ではある。

ただ、仮にライブビュー購入層とスカステ既存客がかなり重なっていたとしても、解約防止策になるだろう。加えて新規取り込みにもなる。私はやるメリットの方が大きいと思う。

 

無骨すぎる幕間を見て、舞台裏の苦労に思いを馳せる

見ながら書いてたら幕間休憩。ずっと時計を写続けるんだろうか。斬新。

BGMさえなし、放送事故バッチコイの心意気が潔い。これを見るかぎりやはり今回のために急遽諸々整えたのかもしれない。

関係者の皆様ありがとう!おつかれさま!後半も観るよ!