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エリザベート考・あるいは悪魔の花嫁とストーカー

初演の雪組エリザベートが神がかり的に凄かった件を前回書いたが
 
「人間の娘に恋をし誘惑する死神」というと、ある漫画を連想する女性も多いに違いない。そう、傑作オカルト•サスペンス•ホラー連作漫画「悪魔(デイモス)の花嫁」。
 
この漫画、一話完結のオムニバス型長編で、いわば「少女漫画版・世にも奇妙な物語or笑うせえるすマン」。憎悪や嫉妬で破滅していく人々を、時にほくそ笑み、時に悲しい目で見つめている狂言回しが美青年の姿をした悪魔、デイモス。
 
彼は元々ギリシャ神話世界の神様で、美神ヴィーナスの実兄にして愛人なのだが、近親相姦の罪で悪魔に身を落とされた、という設定。
妹ヴィーナスはというと地獄の沼で逆さ吊りに戒められ、生きながら体が腐っていくという過酷な罰を受けている。どう考えても兄貴よりこっちの方が辛そう・・・美の女神のこの上なく美しい顔が、半分腐り爛れている。彼女は「美」と「醜」、その表裏一体性を体現したキャラクターなのだ。
デイモスは妹に新しい肉体を提供するため、人間界で彼女の生まれ変わりの娘を探し続ける。長い長い時の果てにやっと見つけたのが、なぜか日本人の女子高生・美奈子ちゃん。デイモスは美奈子に付きまとい、囁き続ける。
 
「お前はヴィーナスの生まれ変わり。私の花嫁だ。思い出せ、あの愛の日々を」
 
かくしてデイモスは美奈子のストーカーとなるが、前世の記憶など持たない美奈子は当然拒否する。悪魔に魅入られた彼女の周りでは、奇妙なことが起こり続ける、、というプロット。
「悪魔のくせになんでさっさとぶち殺して連れて行かないんだろう」とか野暮はいいっこなし。彼は略奪者ではなく、あくまでも誘惑者なのだ(その辺、ドラキュラとも似ている)。トート閣下がエリザベートをただ黄泉国へ連れ去るだけでなく、彼女の愛を求めたのと同じ。
 
ストーカーというのは、女にとってはかなり身近な恐怖だ。被害の深刻度こそ幅があるものの、望まない異性につきまとわれる恐怖は多くの女が一度は経験する。
 
ただ、トート閣下もデイモスも、現実のストーカーとは大きく異なる点がある。
それは、彼が「実力行使をしない」こと、「女の意思を尊重する」こと(超絶美形、という点もあるが、そこは本質ではない)。
つまり暴力的ではない。圧倒的な力がありつつも(悪魔だからね)、略奪者や支配者ではないのだ。ただ愛を乞い求めてじっと待っている。か弱い少女とは言え、彼女に意思があり、力づくで奪っても心は強制できないことを知っている。だから物語になり得るし、見ている側も楽しめる。
一途に追いかけ、求愛してくる男。でも本当に女が嫌がるような怖いことはしない。あくまで主導権は私。フィクションとして、女のうっとりポイントはここだ。現実のストーカー野郎は女の意思なんざ気にしちゃいないからね。
 
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物語の後半のヴィーナスちゃん、いい女なんだよな