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「ドリーム」は素晴らしい映画なので小中高生はぜひ観に行こう

 
公開初日に鑑賞済みだけど、再度観てきました。巷でも絶賛の嵐だけど、ほんといい映画。
 
邦題問題で公開前から揉めてたけれど、結局落ち着いた「ドリーム」というタイトル。
悪くはないけど、やっぱりちょっと違うんじゃないの、と思ってしまう。
「健気に夢を追いかけ、夢を叶えた女性たち」の話ではないだろうよ、これ。
女性差別・黒人差別の中、プロの職業人としての正当な評価がなかなか得られなかった、まさに「Hidden Figures」の話なのに。
どうも日本ではフェミニズム的な題材の映画は、アク抜きしてマイルドなパッケージに包み直してしまうケースが散見される。「サフラジェット(原題)」を「未来を花束にして(邦題)」とかね。
オリジナルのキリッとしたポスターのかっこいいことよ。
 
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「コンピュータ」とは、元々は計算係の「人」を表す単語で、その多くは女性が担っていた。
膨大なデータをひたすら計算・検算する女性たち。
彼女たちは大学出の専門職であっても男性社員よりずっと薄給で、担当者として名前も残らない。
さらに白人チームと黒人チームに別れていて、二重の差別がある。
天才数学者キャサリン(タラジ)は白人男性ばかりのチームで嫌がらせを受けながら黙々と成果を出す。
なぜ彼女がそのチームに入れられたかといえば、彼女が優秀で、その頭脳が業務に必要だからだ。でも同僚たちは彼女を受け入れない。女性だから。そして黒人だから。
ドロシーは実質管理職の仕事をこなしてるのに、黒人だからという理由で昇進できない。
エンジニア志望のメアリーもまた、資格に必要な学校が「白人男性しか受け入れない」ため、まずは裁判を起こす必要にかられる。ただ仕事の研修を受けるためだけに。
 
とにかく、マイナスからのスタートなのだ。ゼロのスタート地点に立つためだけに膨大な労力が必要とされる。
差別がなぜダメなのか。
人権問題としてはいうまでもないんだけど、道徳的な理由より何より、「それが非論理的な事実誤認であり、非効率であるから」受け入れられないのだ。
フェアでない、ということは、目的遂行に当たって、阻害要因でしかない。
ケヴィン・コスナー演じる白人上司は、別に人権運動家でもなんでもないが、この職業論理の一点突破で、黒人差別・女性差別を一蹴する。「阿呆らしいことで俺の仕事の邪魔すんなボケ!!」と。
この姿勢はものすごくシンプルで、正しいと思う。ケヴィン・コスナー、久しぶりに見たと思ったら、いい役でしたね。
 
ひどい時代もあったんだね、で終わらせることはできない。
今も人種差別問題、性差別問題はいくらでもある。
先達の努力の積み重ねにより、現代日本は確かによくなっているとは思うが、まだあるよそりゃ!仕事してれば、多かれ少なかれ直面する。
 
キャサリンが黒板にチョークを走らせ複雑な計算式を組み立てる姿は、かっこよくて興奮するシーンだ。
中高生くらいの、これから進路を決める子供達にぜひ見て欲しい映画かな、と思う。理系のかっこよさですね。
 
キャサリン以上にかっこいいのが黒人女性チームを率いるドロシーさん。
「コンピュータ・マシン」の登場により、計算係の業務がいずれなくなることを予見した彼女は真っ先にプログラミングを勉強してチームの女性たちにハッパをかける。
「これからはマシンを操る人=プログラマが必要。失業したくなければプログラミング覚えろ!」と。
これは普遍的に必要な姿勢だと思う。
AIの台頭により、私たちの仕事も変わる。なくなる仕事も多いが、新たに発生する仕事もある。10年後20年後も食うために、必要なスキルは学んでいかないと、ですね。
 
p.s. ああジャネール・モネイ可愛い。