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渋谷すばるさんのこと。アイドルとファンの残酷な関係

ジャニーズは嗜む程度だが、関ジャニ∞は数年前からファンなので、今回のことは衝撃だった。

私はバンドから好きになったクチなので、メンバーの中でも特に丸山隆平安田章大渋谷すばるの3人が好きなのだ(彼らのライブを知っている人ならわかってくれると思う。バンドのときにこの3人はひときわ輝く)。
バラエティ番組で芸人顔負けの面白さも知り、さらに好きになった。その頃東京住みだった身としては、彼らのネイティブ関西弁の気持ちよさにも随分癒されたものだ。ジャニオタの友人にチケットをとってもらい、ライブにも行った。やはりバンドアクトが素晴らしかった。
また、ナマで見た彼らの笑顔の可愛さに「やっぱりトップアイドルはモノが違う」と思い知らされた。特にすばるくんはとてつもなく魅力的だった。歌声の力強さとステージでパッと輝く華に、ああこの人はプロのアイドルだなと思った。

あの会見を見て、私がまず感じたのは、1ファンとしての罪悪感だった。
私は関ジャニ∞というコンテンツを楽しみ消費してきた。そのことが、生身の人間であるアイドルを苦しめているかもしれない懸念は、じつは常に頭のどこかに、ある。コンサートでペンライト振りながらも、ある種の後ろめたさを少しは感じていた。
アイドルを応援すること自体が、アイドルを枠にはめ、縛っているかもしれない。彼らの自然な衝動や欲求を削り取り、無理を強いているのかもしれない。
これは多分、全てのアイドルとファンの関係が孕んでいる構造的な残酷さだと思う。
その残酷さを改めて突きつけらたような気になったのが、あの会見だった。
 
アイドルを消費することに後ろめたさを持たないファンの方が幸せかもしれない。後ろめたさなど、プロである彼らに対して失礼かもしれない。アイドル側としても罪悪感など持たない無邪気なファンの方が望ましいのかもしれない。でも私はそうはなれない。
例えば、若い女性アイドルに彼氏がいたからといって悪し様に罵るファンの気持ちは、私にはわからない。
 
ダークスーツで目を潤ませるメンバーを見て、自分の無神経さや残酷さを指摘されたようないたたまれなさを(勝手に)感じた。
すばるくん、ごめん。謝るのはこっちのほう。本当にありがとう。あなたに救われた人は、多分たくさんいます。アイドルは時に人を救います。音楽は人を救うこともあります。
ただ、これからも、私は関ジャニのコンテンツを楽しむだろう。ちょっとの後ろめたさを感じつつ。そして楽しませてくれるアイドルには、幸せになってもらいたい。
渋谷すばるのソロ活動と新生関ジャニ∞と、2つを楽しめると思えば、寂しさ8割、ワクワク2割といったところ。
30代男性が新卒で入った会社から独立すると思えば、何の不思議もないのだ。
 
多くの場合いずれ退団することが前提である「期限付き」の宝塚に対して、ジャニーズは必ずしも卒業がフォーマット化されていない。どちらもそれぞれの厳しさがあるなぁ・・・